メイン

2005年10月13日

企業は知的創造への真摯な尊敬を持て -不実施補償の呪縛を超えて-

横山 浩

今を去る10年前の平成7年11月15日、”「科学技術創造立国」を目指して科学技術 の振興を強力に推進していく上でのバックボーン”として、科学技術基本法が施行された。バブル崩壊後の惨憺たる経済状況のなかで、日本の未来を託せるのは科学技術のほかにないという切実な想いのもとに、政治主導で立法化が進められたのだった。

科学技術基本法と、それに基づいて5年毎に策定される科学技術基本計画[1]のおかげで、ひところはスラムとまで言われた国立大学の研究現場は、旧帝大を中心に、建物も設備も目を見張るばかりに立派になっている。科学研究に対する国の投資が着実に増大し、なかでも若手研究者を対象とした研究費助成の充実はいちじるしく、博士研究員[2]の数も飛躍的に増加し、国際化も進展している。さらに、国立大学、国立研究機関の独立行政法人化もあり、この10年で、日本の研究現場はすっかり様変わりしている。

こうして国費を投じて得られた大学、研究機関の研究成果を、企業活動を通じて広く社会に還元することで、国民生活の向上と経済発展に役立てたいと願うのは、財務当局ならずとも当然のことであろう。その熱い期待を受けて、産学官連携が今花盛りである。内閣府、(社)日本経済団体連合会、日本学術会議の主催で、平成13年から毎年「産学官連携推進会議」[3,4]が盛大に開催される一方で、産学官連携の実行部隊として、大学、研究機関はこぞってTLO(技術移転機関)や知的財産本部を発足させ、特許技術のライセンス、産学官共同研究、ベンチャー育成などに大変な熱意で取り組んでいる。文部科学省によれば、平成16年度の大学と民間企業との共同研究は約9000件(一件あたりの受入研究費は約220万円)、受託研究は約6400件(一件あたりの受託研究費は約200万円)に及んでいる[5]。一方、私の所属する(独)産業技術総合研究所では、共同研究は296件(一件あたりの受入研究費は約900万円)、受託研究は123件(一件あたりの受託研究費は約850万円)となっており[6]、年率2割を超えるハイペースで増加している。

ところが、そういった盛り上がりにも関わらず、研究者の意欲を萎えさせる、知的創造への尊敬を欠いた態度をとり続けているのが、産学官連携の一翼であるはずの企業、なかでも大きな市場シェアと研究開発資源を持つ大企業なのである[4]。誤解を避けるために断っておきたいのだが、私がここで論じようとしているのは、企業内の発明対価の問題ではない。中村修二氏と日亜化学工業の特許係争の結果、マスコミを通じて一躍有名になった発明対価については、私は中村修二氏の主張に組するものでは全然なく、むしろ同氏の言動は、科学技術研究の自由な発展を阻害する不健全なものと思っている部類である[7]。

さて、ここで真に提起したいことは、共有特許の実施料(ロイヤリティ)の問題である。これは、企業での発明対価の問題と、意識の本質においては同根とも言えるかも知れないが、法的には全く別個に扱われている。民間企業が大学や研究機関と共同研究を行うとき、大半においてその目的は、共同することで単独では困難な新たな発明や新技術を生み出し、それを知財として確保するために特許を出願することである。そして実際、企業と大学、研究機関の研究者が協力して生み出した成果であるから、特許も共同で出願し、その権利を共有する。そこまでは常識的であり、全く問題はない。それでは、企業がその特許技術を用いて製品を生産し、収益を挙げたとき、その利益は共同研究者にどのように分配されるべきだろうか。企業と大学、研究機関の研究者が、それぞれの持てる知識と創造力を発揮して、力を合わせて開拓した技術の果実である。であれば、それぞれの貢献と負担の大きさに従って、利益を分け合うというのが、対等な人間社会の常識ではなかろうか。ところが驚くことに、多くの大企業は、共同出願した特許からいくら収益を上げても、共有特許を独占的に実施していないかぎり、一銭も大学、研究機関には分配するつもりがない、と主張するのである[8]。

ここには、営利目的の民間企業とは異次元の目的と組織原理を持つ大学や研究機関と、民間企業とが、互恵の立場で創意を共にすることで、新しい社会価値を作り出すという、産学官連携の基本精神はもはや存在しない。そこにあるのは、大学や研究機関は、民間企業の利益追求に奉仕すればよい、と言わんばかりの姿勢である。産学官連携を重視する政府の顔色をうかがい、大企業との共同研究で点数かせぎをしたい大学や研究機関の足元を見る視線をなげかけつつ、大企業は強硬に実施料を拒否することが通例となっている。卑近な比喩で恐縮だが、ここでの企業は、長年つれそった専業主婦の妻には一切財産はやらないと言って憚らない傲慢な亭主のようなもので、これではお互いの関係が上手くいくはずがない。創造的な共同作業において、パートナーの貢献を常に尊重し、感謝の念を具体的な形に表すことの大切さは、古今東西の先哲の教えるところである。

企業は、特許法第七十三条 第2項「特許権が共有に係るときは、各共有者は、契約で別段の定をした場合を除き、他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる。」[9]を根拠に、産学官連携においても、民間企業間での共同研究開発と同様に、共有特許の自由な実施を主張する。これに対して、大学、研究機関は、本来的に特許技術を自らが実施して利潤を上げることを目的としない”不実施機関”であるとの立場にたち、企業が得た実施収入の分け前を要求しているのである。分け前は通常、”不実施補償”と呼ばれているが、この言葉は、大学、研究機関が受けた損害を、企業の利潤とは関係なく、補償するかのごときニュアンスを持つ、誠に不可解な用語である。企業に無用な抵抗感を与えぬためにも、実施利益還元など、より適切な用語に改めるべきであろう。特許法第七十三条第2項の解釈については、「特許の利用に関して特許共有者の権利を既定したもので、経済的な関係について既定していない」など、企業、大学、研究機関双方の言い分も含めて、既に多くの議論がなされている[10]。

企業曰く、「製品化のためのリスクをとっているは企業であって、大学ではない」とか、「大学や研究機関は、多額の税金を投入して研究を行っているからその成果は自由に利用させるべきだ」、「大学、研究機関は研究費を十分に分担していない」などなど、企業の主張を正当化する様々な議論がなされているが、ここでは一つ一つ反論を試みることはしない。今大切な事は、お互いの浅はかな利害をぶつけ合って、事態を暗礁に乗り上げることではないことは確かである。知的創造としての研究開発の原点に戻り、「科学技術創造立国」のために産学官連携は如何にあるべきか、産学官連携を有効たらしむために、ステークホルダー(利害共有者)である企業と大学、研究機関との間で、利益、負担、リスクをどのように分配するべきかを、高い視点から見据えることこそが求められる。

単純に考えても、企業が共有特許の実施利益の一部を大学、研究機関に還元しなければ、直接収益事業を行わない大学、研究機関に属する発明者は発明対価を受けられず、結局は、発明奨励のため装置として特許法が規定する職務発明への正当対価という、特許制度の根本理念すら消滅してしまうのである。企業の主張は、特許法第七十三条 第2項の但し書き「契約で別段の定をした場合を除き」には目をつぶって、「他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる」という部分にのみ注目した、自己の利益にのみ拘泥した一面的な議論である。大変な物議をかもした職務発明の正当対価の取り扱いも、改正特許法では、未だに不十分ではあるが、合理的な手続きにより結ばれた雇用契約、職務規則に委ねるという、米国流の契約主義に大きく踏み出している。共有特許の共有者間での取り扱いについても、共有者の業務形態、経済状況、研究開発力などが一律でない以上、第一義的には、当事者間の自由な契約によるとするのが原則であろう。

日本知的財産協会の見解に代表される企業の一般的な立場は、職務発明の対価については雇用者と従業員の自由契約を主張しながら、共有特許の実施については、”不実施補償”に本能的とも言える忌避を以って、当事者間の自由契約をも飛び越えて、硬直した自由実施をあくまで主張するもので、ご都合主義で一貫性がないと言わざるを得ない。その矛盾は、研究開発を知財の共有を前提にしながら企業本体から分離・アウトソースすれば、企業は実施料からも発明対価からも開放されるという、思考実験をしてみればすぐに露呈する。このような仕方は、まさしく研究者や発明者を隷属して、その創造性を踏みにじるものであることは明らかであり、それが一企業の利益にはつながるにしても、国全体としては科学技術創造立国に背くものであることは明白で議論の余地はない。

知財の共有者が心底納得して合意できる自由契約は、その根底においてお互いを尊重する精神がなくては成立しない。知的創造に対する真摯な尊敬を欠いた、共有特許の自由実施に企業が固執するかぎり、企業と大学、研究機関の視線はすれ違うばかりで、決して和解をみることはあるまい。それでは、いくら産学官連携推進会議を懸命に開催してみても、産学官連携の実現は絵に描いた餅で終わるであろう。

企業の知財担当者は、”不実施補償”という言葉を前にすると、ここで実施料の支払いを受け入れると株主代表訴訟でも起こされると感じるのか、即座に思考停止に陥ってしまうような場合が多々みられる。他方、大学、研究機関が、実施料率や一時金などの条件を一律に設定するが如き頑迷さも、企業のそれとどうように非難されるべきものである。それぞれの極端に振れすぎた現状を一端清算し、第七十三条が認める、自由契約の原則に収斂させ、真の産学官連携の実現に踏み出す時が来ているのではいだろうか。

続きを読む "企業は知的創造への真摯な尊敬を持て -不実施補償の呪縛を超えて-" »