企業は知的創造への真摯な尊敬を持て -不実施補償の呪縛を超えて-
今を去る10年前の平成7年11月15日、”「科学技術創造立国」を目指して科学技術 の振興を強力に推進していく上でのバックボーン”として、科学技術基本法が施行された。バブル崩壊後の惨憺たる経済状況のなかで、日本の未来を託せるのは科学技術のほかにないという切実な想いのもとに、政治主導で立法化が進められたのだった。
科学技術基本法と、それに基づいて5年毎に策定される科学技術基本計画[1]のおかげで、ひところはスラムとまで言われた国立大学の研究現場は、旧帝大を中心に、建物も設備も目を見張るばかりに立派になっている。科学研究に対する国の投資が着実に増大し、なかでも若手研究者を対象とした研究費助成の充実はいちじるしく、博士研究員[2]の数も飛躍的に増加し、国際化も進展している。さらに、国立大学、国立研究機関の独立行政法人化もあり、この10年で、日本の研究現場はすっかり様変わりしている。
こうして国費を投じて得られた大学、研究機関の研究成果を、企業活動を通じて広く社会に還元することで、国民生活の向上と経済発展に役立てたいと願うのは、財務当局ならずとも当然のことであろう。その熱い期待を受けて、産学官連携が今花盛りである。内閣府、(社)日本経済団体連合会、日本学術会議の主催で、平成13年から毎年「産学官連携推進会議」[3,4]が盛大に開催される一方で、産学官連携の実行部隊として、大学、研究機関はこぞってTLO(技術移転機関)や知的財産本部を発足させ、特許技術のライセンス、産学官共同研究、ベンチャー育成などに大変な熱意で取り組んでいる。文部科学省によれば、平成16年度の大学と民間企業との共同研究は約9000件(一件あたりの受入研究費は約220万円)、受託研究は約6400件(一件あたりの受託研究費は約200万円)に及んでいる[5]。一方、私の所属する(独)産業技術総合研究所では、共同研究は296件(一件あたりの受入研究費は約900万円)、受託研究は123件(一件あたりの受託研究費は約850万円)となっており[6]、年率2割を超えるハイペースで増加している。
ところが、そういった盛り上がりにも関わらず、研究者の意欲を萎えさせる、知的創造への尊敬を欠いた態度をとり続けているのが、産学官連携の一翼であるはずの企業、なかでも大きな市場シェアと研究開発資源を持つ大企業なのである[4]。誤解を避けるために断っておきたいのだが、私がここで論じようとしているのは、企業内の発明対価の問題ではない。中村修二氏と日亜化学工業の特許係争の結果、マスコミを通じて一躍有名になった発明対価については、私は中村修二氏の主張に組するものでは全然なく、むしろ同氏の言動は、科学技術研究の自由な発展を阻害する不健全なものと思っている部類である[7]。
さて、ここで真に提起したいことは、共有特許の実施料(ロイヤリティ)の問題である。これは、企業での発明対価の問題と、意識の本質においては同根とも言えるかも知れないが、法的には全く別個に扱われている。民間企業が大学や研究機関と共同研究を行うとき、大半においてその目的は、共同することで単独では困難な新たな発明や新技術を生み出し、それを知財として確保するために特許を出願することである。そして実際、企業と大学、研究機関の研究者が協力して生み出した成果であるから、特許も共同で出願し、その権利を共有する。そこまでは常識的であり、全く問題はない。それでは、企業がその特許技術を用いて製品を生産し、収益を挙げたとき、その利益は共同研究者にどのように分配されるべきだろうか。企業と大学、研究機関の研究者が、それぞれの持てる知識と創造力を発揮して、力を合わせて開拓した技術の果実である。であれば、それぞれの貢献と負担の大きさに従って、利益を分け合うというのが、対等な人間社会の常識ではなかろうか。ところが驚くことに、多くの大企業は、共同出願した特許からいくら収益を上げても、共有特許を独占的に実施していないかぎり、一銭も大学、研究機関には分配するつもりがない、と主張するのである[8]。
ここには、営利目的の民間企業とは異次元の目的と組織原理を持つ大学や研究機関と、民間企業とが、互恵の立場で創意を共にすることで、新しい社会価値を作り出すという、産学官連携の基本精神はもはや存在しない。そこにあるのは、大学や研究機関は、民間企業の利益追求に奉仕すればよい、と言わんばかりの姿勢である。産学官連携を重視する政府の顔色をうかがい、大企業との共同研究で点数かせぎをしたい大学や研究機関の足元を見る視線をなげかけつつ、大企業は強硬に実施料を拒否することが通例となっている。卑近な比喩で恐縮だが、ここでの企業は、長年つれそった専業主婦の妻には一切財産はやらないと言って憚らない傲慢な亭主のようなもので、これではお互いの関係が上手くいくはずがない。創造的な共同作業において、パートナーの貢献を常に尊重し、感謝の念を具体的な形に表すことの大切さは、古今東西の先哲の教えるところである。
企業は、特許法第七十三条 第2項「特許権が共有に係るときは、各共有者は、契約で別段の定をした場合を除き、他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる。」[9]を根拠に、産学官連携においても、民間企業間での共同研究開発と同様に、共有特許の自由な実施を主張する。これに対して、大学、研究機関は、本来的に特許技術を自らが実施して利潤を上げることを目的としない”不実施機関”であるとの立場にたち、企業が得た実施収入の分け前を要求しているのである。分け前は通常、”不実施補償”と呼ばれているが、この言葉は、大学、研究機関が受けた損害を、企業の利潤とは関係なく、補償するかのごときニュアンスを持つ、誠に不可解な用語である。企業に無用な抵抗感を与えぬためにも、実施利益還元など、より適切な用語に改めるべきであろう。特許法第七十三条第2項の解釈については、「特許の利用に関して特許共有者の権利を既定したもので、経済的な関係について既定していない」など、企業、大学、研究機関双方の言い分も含めて、既に多くの議論がなされている[10]。
企業曰く、「製品化のためのリスクをとっているは企業であって、大学ではない」とか、「大学や研究機関は、多額の税金を投入して研究を行っているからその成果は自由に利用させるべきだ」、「大学、研究機関は研究費を十分に分担していない」などなど、企業の主張を正当化する様々な議論がなされているが、ここでは一つ一つ反論を試みることはしない。今大切な事は、お互いの浅はかな利害をぶつけ合って、事態を暗礁に乗り上げることではないことは確かである。知的創造としての研究開発の原点に戻り、「科学技術創造立国」のために産学官連携は如何にあるべきか、産学官連携を有効たらしむために、ステークホルダー(利害共有者)である企業と大学、研究機関との間で、利益、負担、リスクをどのように分配するべきかを、高い視点から見据えることこそが求められる。
単純に考えても、企業が共有特許の実施利益の一部を大学、研究機関に還元しなければ、直接収益事業を行わない大学、研究機関に属する発明者は発明対価を受けられず、結局は、発明奨励のため装置として特許法が規定する職務発明への正当対価という、特許制度の根本理念すら消滅してしまうのである。企業の主張は、特許法第七十三条 第2項の但し書き「契約で別段の定をした場合を除き」には目をつぶって、「他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる」という部分にのみ注目した、自己の利益にのみ拘泥した一面的な議論である。大変な物議をかもした職務発明の正当対価の取り扱いも、改正特許法では、未だに不十分ではあるが、合理的な手続きにより結ばれた雇用契約、職務規則に委ねるという、米国流の契約主義に大きく踏み出している。共有特許の共有者間での取り扱いについても、共有者の業務形態、経済状況、研究開発力などが一律でない以上、第一義的には、当事者間の自由な契約によるとするのが原則であろう。
日本知的財産協会の見解に代表される企業の一般的な立場は、職務発明の対価については雇用者と従業員の自由契約を主張しながら、共有特許の実施については、”不実施補償”に本能的とも言える忌避を以って、当事者間の自由契約をも飛び越えて、硬直した自由実施をあくまで主張するもので、ご都合主義で一貫性がないと言わざるを得ない。その矛盾は、研究開発を知財の共有を前提にしながら企業本体から分離・アウトソースすれば、企業は実施料からも発明対価からも開放されるという、思考実験をしてみればすぐに露呈する。このような仕方は、まさしく研究者や発明者を隷属して、その創造性を踏みにじるものであることは明らかであり、それが一企業の利益にはつながるにしても、国全体としては科学技術創造立国に背くものであることは明白で議論の余地はない。
知財の共有者が心底納得して合意できる自由契約は、その根底においてお互いを尊重する精神がなくては成立しない。知的創造に対する真摯な尊敬を欠いた、共有特許の自由実施に企業が固執するかぎり、企業と大学、研究機関の視線はすれ違うばかりで、決して和解をみることはあるまい。それでは、いくら産学官連携推進会議を懸命に開催してみても、産学官連携の実現は絵に描いた餅で終わるであろう。
企業の知財担当者は、”不実施補償”という言葉を前にすると、ここで実施料の支払いを受け入れると株主代表訴訟でも起こされると感じるのか、即座に思考停止に陥ってしまうような場合が多々みられる。他方、大学、研究機関が、実施料率や一時金などの条件を一律に設定するが如き頑迷さも、企業のそれとどうように非難されるべきものである。それぞれの極端に振れすぎた現状を一端清算し、第七十三条が認める、自由契約の原則に収斂させ、真の産学官連携の実現に踏み出す時が来ているのではいだろうか。
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脚注、参考文献
[1]第1次科学技術基本計画(平成8年度~平成12年度)、 第2次科学技術基本計画(平成13年度~平成17年度)につつぎ、現在、第3次科学技術基本計画(平成18年度~平成22年度)の検討が総合科学技術会議を中心に進められている。
[2]大学で博士号を取得して後、平均的には2,3年間、大学や研究機関に任期付雇用されて研究に専従するもの。欧米では、一人前の研究者への通過点として一般化しており、研究活動の実質的な担い手となっている。我が国では、ポスドク1万人計画が推進されて、博士研究員数は飛躍的に増加したが、研究・教育機関における人材の流動性が乏しいなかで、ポスドク後の求職の困難が、大きな問題となっている。
[3]http://www8.cao.go.jp/cstp/sangakukan/suishin.html
[4]藤本暸一:「“温度差”とすれ違い、産業界の苛立ちの挟間で -第4回産学官連携推進会議に参加して-」, 産学官連携ジャーナル,Vol.1, No.7, pp.34-37(2005).
[5]平成16年度 大学等における産学連携等実施状況報告書、文部科学省
[6](独)産業技術総合研究所 平成16年度事業報告書 p.58, p.45
[7]横山浩:「巨額発明対価のはらむ危険」、毎日新聞、発言席、2004年2月15日
[8]日本知的財産協会、「知的財産推進計画」の見直しについて,2004年3月31 日
[9]特許法 第七十三条 特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その持分を譲渡し、又はその持分を目的として質権を設定することができない。
2 特許権が共有に係るときは、各共有者は、契約で別段の定をした場合を除き、他の共有者の同意を得ないでその特許発明の実施をすることができる。
3 特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その特許権について専用実施権を設定し、又は他人に通常実施権を許諾することができない。
[10]小島寛明:”企業と大学との共有特許の各共有者による実施について” CENTER NEWS NO.29, pp.5-9.
コメント
産学官連携と言っても、様々な形態があると思います。大学の研究者が得た研究成果を基本に、企業が事業化を進めることもあるでしょうし、企業が主導的に進めてきた開発に大学の研究成果を加えることで、改良や進展が期待できることもあるでしょう。いずれの場合も、知的財産の発明者の権利は守られるべきとは思いますが、その現れ方は多種多様であると思います。実施料支払いもその一つの選択肢ではありますが、それを是が非でも確保する事が必要かと言えば、必ずしもそうではないと思うこともあります。
対価の支払いは、発展的研究資金の提供という形であっても、良いと思います。研究者にとって、個人的な対価の支払いよりも研究資金の提供の方が好ましい事も決して少なくないと思います。少なくとも、研究者、企業が納得ずくで契約がなされるなら、それもありかと思いますが、いかがでしょうか。
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片浦弘道様
コメントありがとうございました。
おっしゃりたい趣旨は良く理解できます。
私がここで言う実施料は、研究者への個人的発明対価にとどまらず、企業から提供される発展的研究資金、その研究への投資を行い、特許権を(研究者との合意のもとで)所有する研究所・大学などへの対価なども幅広く包含するものです。したがって、研究者に対する発展的研究資金も、その一部としてカウントされるのは当然のことです。ここで重要なことは、研究者が自己満足すればよいということではなく、給与、研究インフラ、研究費などのもろもろの形で研究の実行を支えた研究組織も、同時に満足できるフィードバックが共同研究先の企業から行われなければならないということです。金額が満足する水準を越えていれば、その形態としては、必ずしもロイヤリティーに拘る必要はなく、発展的研究費というものであっても良いと考えますが、肝心な点は、研究者を含む組織としての貢献に見合う十分な金額であるかどうかということです。会社を例とすれば、社員が商品を無闇にディスカウントして販売することは許されないのと同様です。往々にして、研究者のマインドからすると、組織の投資までカウントして採算のとれる水準よりもはるかに低い金額の研究費を提供されると、それで満足してしまう傾向があり、それでは研究所にとっては採算割れであり不満足な結果となってしまいます。
フリーランスの研究者であれば、「研究者、企業が納得ずくで契約がなされるなら、それもあり」ということで間違いありませんが、組織に所属する研究者であれば、研究者、企業、そして研究所が納得ずくで契約しなければならないということです。
横山浩
投稿者: 片浦弘道 | 2005年11月03日 02:59
横山様
常に新しい試みを続けられることに感服いたします。
さて、公的機関における特許管理の問題は、企業側の主張(産総研は特許で儲けようとしている)とTLO側の主張(秘密保持契約を結ばないと相談に乗りません)がぶつかって難しい状況に見えます。
両者の主張は、個々の企業や特許管理部門の業績を最大化するというミッションのためにローカルな最善策を採用した結果と考えられます。
したがって、(国外を加えると別の要素が入るのでさしあたり国内に限りますが)日本の産業、経済、研究開発全体の効率を最大化する視点で捉えれば、最適なポリシーが得られるはず、、、という枠組みまでは到達するのですが、各論になると実に難しい問題です。
p.s.サイインインでうまくログインできないようです。
投稿者: 水谷亘 | 2005年10月14日 08:56